仙台国際音楽コンクール

Column&Review

第11回:クラシックソムリエが案内する Road to 仙台国際音楽コンクール

コンクールを聴くことのおもしろさはどこにある?(1)国際音楽コンクールの歴史

クラシックソムリエ 高坂 はる香

◇戦前から続く数々の歴史あるコンクール

 

 2001年に創設された仙台国際音楽コンクールは、第6回目となる来年で15年目を迎え、世界でも重要なコンクールのひとつとなりました。

 一方、ヨーロッパには、第2次世界大戦前から続く伝統あるコンクールが多くあります。こうしたコンクールの歴史を紐解くと、“国際コンクール”というものが現在とはまた少し違った重要な意味を持っていたことが見えてきます。

 一般に、近代で初めて行われた国際音楽コンクールといわれているのは、1890年にロシアの偉大なピアニスト、アントン・ルビンシテインが創設した「ルビンシテイン国際コンクール」。ピアノ部門と作曲部門によるコンクールで、今は存続していません(現在イスラエルで行われているアルトゥール・ルービンシュタイン国際ピアノコンクールとは別のもの)。1905年第4回にべラ・バルトークが参加し、ピアノ部門で第2位に入賞、作曲部門には入賞できなかったというエピソードが有名です(ちなみにピアノ部門の第1位は、のちに鍵盤の獅子王と呼ばれるようになるバックハウス。当時ピアニストを目指していたバルトークは、結果に大変意気消沈したと伝えられています)。

 現在も続く著名な国際音楽コンクールの中で最も歴史が古いのは、ポーランドで5年に1度行われるショパン国際ピアノコンクール。第一次世界大戦後の1927年、祖国の誇りであるショパンの名を冠して創設されました。第二次世界大戦中の中断を経て続けられ、今年も10月に開催されます。

 1955年あたりまではポーランドやロシアなど東側諸国の優勝者しか出ませんでしたが、1960年第6回で、イタリアのマウリツィオ・ポリーニが優勝して以後、さまざまな国の優勝者を輩出するようになりました。それだけに、2005年第15回にラファウ・ブレハッチが優勝した際には、祖国ポーランドで30年ぶり(1985年ツィメルン以来)の快挙という結果に、ポーランド国民が大いに沸きました。

 

◇国や政治と深いつながりを持っていたかつてのコンクール

 

 かつての国際音楽コンクールが、国家の威信をかけた重要なイベントだったことが感じられるエピソードがあります。

 4年に1度ロシアで行われるチャイコフスキー国際コンクールは、1958年に第1回が開催されました。時は米ソ冷戦の真っ只中。科学技術を競い合い、ロケットの打ち上げがこぞって行われていた時代です。そんな中、ロシアが文化的な優位性を見せつけるために創設したとされるのが、このコンクールでした。

 ところがこの第1回のピアノ部門で圧倒的な演奏を聴かせ、聴衆の心を掴んだのは、アメリカからやってきた23歳の青年、ヴァン・クライバーンでした。結果発表の段になり、アメリカ人を優勝させてよいものかと、関係者が当時の第一書記フルシチョフに尋ねたところ、彼は「そいつが最高なのか? それなら優勝させろ」と答え、無事クライバーンが優勝を勝ち取ったと伝えられています。

 クライバーンは一躍アメリカの英雄となり、帰国後、ニューヨークでは盛大な凱旋パレードがおこなわれました。優勝から4年後、つまりクライバーンが27歳になったときにはもう、彼の名を冠したコンクールが創設されました。これが、2009年には辻井伸行さんが最高位に輝いたことで話題となり、さらに続く2013年で第4回仙台国際音楽コンクールの覇者ヴァディム・ホロデンコさんが優勝している、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールです。

 かつてのコンクールは、現在とは比べものにならないレベルで国や政治と関係のある、一大イベントでした。一方、国家のあり方も変化し、またコンクールの数がこれほどに増えた現在、コンクールの現場では、いかにそのコンクールが輩出した演奏家のキャリアをアシストできるか、そのコンクールならではの特徴を確立するか、また音楽ファンにとって興味深い内容とするかの試みが重ねられています。

 仙台国際音楽コンクールでも、協奏曲を課題曲の中心に構成することや、演奏の映像配信などをすることで、入賞者はもちろん、挑戦したすべての若い演奏家、応援する音楽ファンにとって価値ある場とするための工夫が行われています。

 次回は、こうした工夫の結果変化を遂げたコンクールの意義、そして楽しみ方について考えてみます。