コラム&レビュー
第7回コンクール評①
協奏曲の選択方法に一考を
音楽評論家:梅津 時比古
仙台国際音楽コンクールが協奏曲をメーンに据えた世界的にも珍しいコンクールであることは、多くの人に知られている。その特徴、魅力を生かすには不断の努力が必要であるが、その点についても、当コンクールはおろそかにしていない。たとえば前回、必須の課題としてモーツァルトの極めて若い作品番号のピアノ協奏曲を出したことなどにもそれは伺える。室内楽的な要素をより参加者に要求したのだ。
今回の報告としては、それでもなお、ひとつの課題が浮かび上がったことをあげたい。それは、ピアノ部門のファイナルに残った6人の協奏曲の選択曲が酷似した組み合わせになったことである。
ファイナルに残った参加者は、モーツァルトの協奏曲のK450、451、453、456、459の5曲のうちから1曲、そして、ベートーヴェンの第5番、ショパンの第1,第2番、リストの第1,第2番、シューマン、ブラームスの第1,第2番、チャイコフスキーの第1番、ラフマニノフの第2,第3番と《パガニーニの主題による狂詩曲》、ラヴェル、バルトークの第3番、プロコフィエフの第2,第3番の計16曲の協奏曲の中から1曲を選ばなければならない。6人のうち、モーツァルトのほうは、ト長調K453の協奏曲が4人、K459とK450が各1人、モーツァルト以外の選択肢からは、チャイコフスキーのピアノ協奏曲が4人、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番と、リストのピアノ協奏曲第2番が各1人、という結果になり、しかもモーツァルトのト長調K453の協奏曲とチャイコフスキーのピアノ協奏曲を弾いて全く同じ組み合わせになった参加者が3人となった。
これは、ピアノ部門の参加者が最初から提出していた曲目である。偶然の結果だが、偶然にしてもそうなる要素があったことは考えなければならないだろう。本選に残らなかった参加者のDVD審査通過者の予定の協奏曲を見ると、37人中、モーツァルトのK453が17人、チャイコフスキーが8人、プロコフィエフの第3番が7人、ラフマニノフの第2番が5人と、大きな偏りを示している。ラヴェル、バルトーク第3番、プロコフィエフ第2番は皆無。同じ曲目になったほうが同じ土俵で各々の違いを聴けるので審査しやすいという意見もあるだろうが、それはここでは取り上げない。それならば最初から課題曲を固定すればよいからである。選曲も個性の表現と見るからこそ、曲の選択制がある。しかし結果として曲の選択に関しては個性の違いがあまり出ないことになった。
参加者の視点に立てば、この選択には理由があるだろう。モーツァルトK453は劇的で聴衆を惹きつけやすい。プロコフィエフ第3番もコンクール受けする。彼らがプロとして活躍し始めるとチャイコフスキーとラフマニノフの第2番はひたすらオファーされる。参加者にとっては当然の選択なのである。しかしそれでは、これだけ多様な曲目を選択肢に入れても、その趣旨が生きないのではないだろうか。
どのように対応したらより良い選択制度になるだろうか? 長年、コンクールに関わってきた筆者は、一案として、以下の提案をしてみたい。
本選で2曲の協奏曲を置いた趣旨を生かすために、コンクール側で2曲を組み合わせたパターンをいくつも作り、選択肢として提出するというものである。
たとえば、室内楽的な要素の分かるモーツァルトの初期作品の協奏曲とチャイコフスキーの協奏曲を組み合わせる。モーツァルトの後期作品の劇的なものと、繊細なシューマンの協奏曲を組み合わせる。そうした組み合わせを30通りぐらい作り、そこから選択してもらう。本選の半数が同じ組み合わせになる現状よりも、新たな要素が見えてくるのではないだろうか。
ほかにも方法は考えられるだろう。曲目選定の在り方は、差し迫った課題である。
今回の本選に関しては、聴衆の多くが順当な結果と見たのではないだろうか。3位以上と4位以下には歴然とした差があった。上位3人に関しては誰が1位でもおかしくない水準であった。しかし誰にも言えることだが、やはりモーツァルトが今後の課題であろう。たとえばモーツァルトだけに限って見れば、この順位は逆にも成り得たかもしれない。1位のチェ・ヒョンロク(韓国)のK453は、特に第3楽章が四角四面で、ノート・イネガルの奏法が欲しかった。同じくK453を弾いた2位のバロン・フェンウィク(U.S.A)は繊細に抒情的に歌った第2楽章と、拍感を鮮明にした第3楽章との対比が面白かった。同じくK453を弾いた3位のダリア・パルホーメンコ(ロシア)は、時間感覚をうまくつかみ、カデンツの光と影も見事であった。
広上淳一指揮仙台フィルハーモニー管弦楽団は、ことモーツァルトに関してはやや饒舌に過ぎた感があったが、3日間の本選で大曲のすべてを共演した功労に最大の讃辞を献げたい。