インタビュー
第2回仙台国際音楽コンクールヴァイオリン部門優勝
松山 冴花さん インタビュー
インタビュアー・文:高坂 はる香(音楽ライター)
インタビュー日:2014年10月4日
2004年、第2回仙台コンクールのヴァイオリン部門で優勝に輝いた松山冴花さん。その後、2005年エリーザベト王妃国際音楽コンクール第4位などを経て、国内外で多方面の活躍を見せている。9歳からニューヨークで学び、今も現地に暮らす彼女だが、仙台コンクール優勝以降日本での演奏活動も格段に増え、たびたび来日。仙台クラシックフェスティバルにも毎年出演し、年々進化する演奏を聴かせてくれている。
仙台コンクールでの優勝から10年。この間にあったもっとも大きな出来事は何ですか?
「マネジメントがついたことです。演奏家としてバックアップしてくれる存在ができたのは、とても大きな出来事でした。仙台コンクールでの優勝がきっかけで、ずっと望んでいたことが実現しました。コンクールに挑戦して良かったと思う最大のポイントのひとつですね。」
コンクール期間中の出来事で印象に残っていることはありますか?
「ホテルに缶詰め状態で毎日練習をしているわけですが、ちょうど5月ということで、 “スズメダンス”でしたっけ?……あっ、“(仙台・青葉まつりの)すずめ踊り”ですね(笑)、そのきれいな踊りの行列を窓の外に眺めながらヴァイオリンを弾いていたことが印象に残っています。
ホストファミリーのボランティアの方が食事に連れていってくれたこと、家に招いてくれたこともよく覚えています。そのお宅には猫ちゃんがいたので、コンクール中、遊んで遊んで遊びまくっていました(笑)。」
たくさんのコンクールに挑戦されていると思いますが、仙台コンクールが他と違うのはどんなところですか?
「15歳のとき、仙台で行われた若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクールに出場したことがあったからそう感じるのかもしれませんが、とてもアットホームな雰囲気が特徴だと思います。当時から、仙台はおいしいものがたくさんあるし、とてもきれいな街だという印象を持っていました。ずっと住んでいるニューヨークの街は全部灰色ですから……。」
そもそも、仙台コンクールを受けることにしたきっかけは何でしたか?
「当時、コンチェルトを中心に勉強しているところだったので、コンチェルトを全部で4回も演奏できるこのコンクールには参加しなくては損だと思い、すぐに申し込みました。プロのオーケストラ、指揮者とタダで演奏させていただける機会など、なかなかありません。みなさんぜひ受けるべきだと思います。それに私の場合、入賞賞金をアパート代や生活費、学費にまわしていましたから、その意味でも参加することには意義がありました。
コンクールに出場するには勇気が必要です。それでも参加したからには、1ステージでも人前で弾く経験、ピアニストと共演することで受け取るフィードバック、そして審査委員の先生たちからのコメントを、いかにその後に生かしてゆくかが重要だと思います。」
コンクールでは思い通りの結果が出るとは限りませんが、どのように乗り越えてゆけばよいのでしょうか。
「それはもう、泣き腫らして、審査委員の先生たちは間違ってる!私は絶対うまく演奏したんだって、人のせいにして乗り越えます(笑)。そして、すごく悔しい思いをしても時間が経てば忘れて、また応募してしまうわけです。悔しいのはみんな同じだと思いますが、それを越えてゆかないといけません。」
10年前と今のご自分を比べてみて、変わったと感じることはありますか?
「そうでありたいですね(笑)。当時はまだ学生で、コンクールに次々挑戦していました。今はプロとしての意識も高まってきたと自分で感じます。そうでなくては、聴きにきてくださる方の時間がもったいないですから。
10年前の私は、怖いもの知らずだったとも思います。コンチェルトでも、とにかくバリバリ弾いてしまう。今はより曲のことを考えられるようになりましたし、何度も繰り返し本番を重ねるにつれて、オーケストラの音をよく聴けるようになりました。」
やはりコンチェルトはステージで演奏する経験を重ねることが重要だと感じますか?
「そうですね。同じ作品でも、自分の中で違う発見があったときにはステージで挑戦して、そこを聴いていただきたいですし。本番は、緊張もあってリハーサル通りに行くことはまずありません。それをできるだけポジティブにとらえて、時にはステージ上で違うことをやってみることもあります。」
緊張されるほうなのですね?
「もう、すごく緊張しますよ。心臓バクバクですが、こればかりはどうにもならないので、時間とともに息が整ってゆくのを待つしかありません。」
仙台にはコンクール以来何度もいらしていると思いますが、来たら必ずすることはありますか?
「やっぱり牛タンですね。それから今回は宮城の日本酒を買って帰りたいと思っています。あとは、日本のマヨネーズ。一度夫に食べさせたらすごく気に入って、日本に来たときは買って帰らないと怒られます。仙台は関係ないですけど(笑)。
それと、牡蠣が大好きなので松島に行ってみたいです。どなたか松島でのコンサートを企画してくださらないでしょうか!」
このインタビューを読んだ方の中から企画が出るかもしれませんから、しっかり書いておきますね。さて、松山さんが最近特に興味をもって取り組んでいる作曲家はいますか?
「イギリスの作曲家、トーマス・アデスです。彼のヴァイオリン協奏曲は、冒頭から花火のようでとても楽しい作品です。ステージで演奏したことはまだ2回しかありませんが[注:松山さんは2008年に東京交響楽団とこの作品を日本初演、2011年に名古屋フィルと再演しています]、もっといろいろなオーケストラでも演奏してみたいです。
現代作品には今とても興味があります。複雑なリズムはパズルのようで、いつもの演奏と少し違った面で頭を使わなくてはいけません。まだ演奏されている機会が多くないこうした作品は、自分の色をつけて好きなように演奏できる気がして、とても楽しいのです。」
最近共演などをして刺激を受けた演奏家はいますか?
「よく一緒に演奏している津田裕也君です。彼はベルリンで勉強していますから、私とは違う意見をたくさん聞かせてくれて、刺激になります。私は基本的に共演者から提案があった場合、絶対に“違う”と言わないんです。もしかしたら何かが見つかるかもしれないから、まずは受け入れてやってみる。やっぱり違うなというときももちろんありますけどね。
それにしても津田君はとにかく良いので、私が何を言っても笑ってくれます。よく付き合ってくれるなぁと思いますね(笑)。
それから、今もときどきジュリアードで師事していたロナルド・コープス先生に見てもらっているのですが、ここにはこんな色があるよと提案してもらうことも大きな刺激になっています。」
ヴァイオリンを鳴らす上でもっとも大切にしていることはなんでしょうか?
「今は“呼吸”ですね。ヴィブラートだったり、指遣いだったり、気になることは変わってくるのですが。その時々で練習中に小さな目標を立てて、クリアしていきます。」
それでは、理想とする音とはどんなものでしょうか?
「一番好きなのは、アルテュール・グリュミオーの音です。とても甘くて、同時に、偽りのない真実の音がすると感じます。イツァーク・パールマンも、聴いていて元気が出る音でとても好きです。音には人柄が出ますよね。本当に不思議。楽器というのは、マジックボックスだと思います。」
松山さんは9歳からニューヨークで過ごされていますが、ニューヨークで教育を受けたことの良さを感じることはありますか?
「ニューヨークで育ったからというよりは、個人的な性格の問題かもしれませんが、とにかくポジティブです。いくら自分に自信を持っていても、時には怖いと思うこともある。それでも、道に迷ってもいつかは辿りつけるという考えがどこかにあります。」
ちなみに、どんなお子さんだったのですか?
「そうですね……子供のころはわりと素直だったと思うのですが、いつの間にかあまのじゃくになってきてしまって(笑)。やるなと言われると、やりたくなってしまう。例えば「白鳥の湖」でも、昔は白鳥のお姫さまが大好きでしたが、いつのまにか黒鳥のほうが大好きになっていました。」
数年前のインタビューでは、まだヴァイオリニストになる決心はついていないとおっしゃっていましたが、今はいかがですか?
「さすがにもう決心しました(笑)。最近になって、ようやくヴァイオリニストとしてのプライドを感じるようになったんです。演奏もそれに伴って良い方向に変わったと思います。
みなさんが安心して聴くことができる演奏をしたい。まだ迷いが起きることもありますが、とにかく一番に自分を信じたい。自分の音楽をそのままに見せられるようでありたいと思っています。」
最後に、これから仙台コンクールを受けようとしている方にアドバイスをお願いします。
「仙台は、人が優しくて街もすごくきれいです。コンクールのスタッフの方は準備万端で運営にあたってくれますし、ボランティアの方もサポートしてくれますから、参加者は楽しんでステージに上がることだけを考えればよいという、すばらしい環境です。
とくに5月は“すずめ踊り”もあってとても良い季節です。絶対に楽しいと思いますよ。」
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