コラム&レビュー
第9回:クラシックソムリエが案内する Road to 仙台国際音楽コンクール
“○○らしい演奏”って何?
クラシックソムリエ 高坂 はる香
◇ドイツ人のベートーヴェンと、イタリア人のベートーヴェン
みなさんは、ドイツ人が演奏するベートーヴェンと、イタリア人が演奏するベートーヴェン、どちらが“ベートーヴェンらしい”演奏だと思いますか?
文化や生活習慣、言語は、あるアーティストが生む音楽に大きく影響します。特に言語の音やリズムは、作曲家が作品を書くにあたって、意識のあるなしにかかわらず影響を与えます。祖国の民族音楽も大きくかかわるでしょう。演奏家にとって、そうした作曲家の言語や文化を知っている、さらに言えば身についていることが、演奏解釈の助けになるのは確かです。
それでは、ドイツの作曲家ベートーヴェンの音楽は、ドイツに生まれ育った演奏家のほうが“ベートーヴェンらしい”演奏ができるのか?というと、それは正しい部分もあるし、まったく違っているところもあります。
血に流れる文化というものはもちろん重要ですが、ある作曲家の作品は同国の演奏家こそが一番よく理解できるというわけではありません。同じ国の人間同士だからといって、必ず誰とでも気が合って仲良くなれるわけではないのと似ているかもしれません。
異なる文化圏の作曲家を理解し、すばらしい解釈をする演奏家はたくさん存在します。日本人でも、ある作曲家のエキスパートとして現地で高い評価を受ける演奏家は多くいます。
敬愛する作曲家と通じ合うため、多くの演奏家はさまざまな努力をしています。例えばベートーヴェンなら、自分が演奏するピアノソナタについて勉強することはもちろん、彼の残した壮大な宇宙である交響曲を聴きこんだり、当時の社会背景や作曲家が影響を受けた文学を研究したり。それぞれの演奏家が独自の信念で、作曲家を深く理解するための努力をしています。
◇時代様式も大切なポイント
こうした“○○らしい演奏”というものを考えるとき、国や地域の他にもうひとつ重要な要素となるのが、時代様式です。
中世からルネサンス、バロック、古典派、ロマン派、そして近現代など、クラシック音楽の作品は時代によって(その境目はとてもあいまいながら)特徴が異なります。演奏家には普通、こうしたそれぞれの音楽の精神を表現するにふさわしい、時代様式に合った奏法が求められます。
例えば、バロック時代の、宮廷や教会の儀礼用として多くの音楽が作られていた時代と、ロマン派以降、感情を表現するものとして多くの音楽が作られるようになった時代では、情緒のつけ方、装飾音のあり方や演奏の自由度など、様式に合うとされる表現方法が異なります。実にさまざまな要素が関与するので簡単に語り尽くすことはできません。
その中で一つ重要になるのは、作曲当時の楽器(今日まで、多くの楽器は改良を加えられ、変化しています)を想定し、作曲家の頭にあった音を想像したうえでの、音作りです。当時の楽器を使用する、または奏法を再現してこそ正しい表現だという考え方もありますが、多くの奏者は、現代の感性や技術、進化した楽器の良さを生かし、単に当時の音を再現することを越えた演奏を追い求めているようです。
ここまで、“○○らしい演奏”というものが語られる上でのいくつかの要素を紹介しましたが、こうした基本を踏まえたうえでの独創的解釈というものもあります。一般的理解と違うことが間違っているわけでもありません。なぜそうあるべきかの説得力さえあれば、コンクールという場でも大いに評価される可能性があるでしょう。
正しい答えのない芸術という分野においては、演奏解釈はどこまでも自由なのです。