コラム&レビュー
中野りな(第8回ヴァイオリン部⾨優勝)
ヴァイオリンリサイタル【東京公演】演奏評
中野りな ヴァイオリンリサイタル【東京公演】
日時:2023年6月15日(木)19:00開演
会場:浜離宮朝日ホール
演奏曲目:
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ イ長調 K305
プーランク:ヴァイオリン・ソナタ FP119
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ト長調 op.27-5
R.シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 op.18
音楽評論家:梅津 時比古
明るい未来を確信
新しい優勝者は孤独ではない。彼女は多くのものに包まれてやってきた。
中野りな、2022年に行われた第8回仙台国際音楽コンクールのヴァイオリン部門に史上最年少の17歳で優勝。前年の21年には、第90回日本音楽コンクールで優勝している。
「第8回仙台国際音楽コンクール優勝記念」と銘打ち東京(6月15日、浜離宮朝日ホール)と仙台(同18日、日立システムズホール仙台)で、やはり若いピアニスト、小井土文哉(第87回日本音楽コンクール優勝、第15回英国ヘイスティングス国際ピアノ協奏曲コンクール優勝)の共演を得て、中野りなヴァイオリンリサイタルが開かれた。
私が聴いた東京公演では、新人のリサイタルとしてはついぞ聴いたことのないような完成度の高さを示していた。プログラムに並んだ曲の新しい断面を次から次へ、めくるめくように開いていったのである。明らかに、それらの曲の作曲家たちが、彼女の傑出した才能の応援に回っていた。
モーツァルトの《 ヴァイオリン・ソナタ イ長調 K305 》で幕を開ける。
弦とピアノが一緒に口火を切る第1楽章。やわらかな小井土の音に比し、中野の音は輝かしく少し固めの音。その対照の妙がむしろ生きて、両者の違いが美の形を生む。音が会場になじんできた第二楽章では、小井土が変化させる仕掛けに対し、中野もたちどころに応え、互いに楽しくて仕方がないような対話が繰り広げられた。
二曲目のプーランク《 ヴァイオリン・ソナタ FP119 》が圧巻であった。
プーランクは多くの作曲家の中で、おそらく聖と俗の二律背反を最も本質としている作曲家であろう。あたかも司祭や牧師がごろつきであり、ごろつきが司祭や牧師の精神性を持っているかのような要素を暴き出し、人間の不可思議な謎に迫っている。これを表現するためには、聖は聖であればあるほど良く、俗は俗であればあるほど良い。聖は精神性が物を言う。俗は経験の多寡による。聖は幼い子どもでも表せるが、俗はごろつきに越したことはない。
すなわち、プーランクには手だれの表現が必要で、このヴァイオリン・ソナタに聞こえる突然の抒情的な旋律も、うらぶれた場末のバーで酔っ払った女が口ずさむ歌のように弾くならば、魅力が倍加するだろう。それは中野りなには無理である。替わって中野はこの旋律で抒情に徹した。俗の代わりに純粋な歌謡性を当てたのである。小井土が極めて優れた抒情を持っていることも大きかったろう。だれることなく、精神性と抒情が拮抗し、このソナタの内に隠れている鋭い構造と大きさを示し得た。
そして第三楽章の、スペイン内戦で非業の死をとげたロルカを表すとされる結末の衝撃の音。二人の激しさは、現在のウクライナの無残さをも思わせる。
休憩後はまずイザイ《 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ト長調 op.27-5 》。
ボーイング(右手)と肘(左手)からのポジションの使い方に惚れ惚れとする。
最後に、R・シュトラウス《 ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 op.18 》が置かれていた。
ここではピアノが独自に切り出す表現の深さ、デュナーミクの幅、変幻する豊かな音色に、ヴァイオリンが堂々と対峙し、さらには問いを投げ返す。その成果として大胆な解釈を生み出すアンサンブルは、R・シュトラウスが最も得意とするオペラや歌曲の要素が、このソナタにふんだんに溢れていることを、見事に開示してみせた。
中野の音楽は、共演者をも含め、多くのものを呼び込む才能を基にしている。
彼女の未来が明るいものであることを確信した。
《このレビューは仙台国際音楽コンクールニュースレター2023年7月号に掲載されました》
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