インタビュー
第4回仙台国際音楽コンクールピアノ部門優勝者
ヴァディム・ホロデンコさん インタビュー
インタビュアー・文:高坂 はる香(音楽ライター)
インタビュー日:2014年10月4日
初めての仙台への訪問は2008年。前年に行われた第3回仙台コンクールヴァイオリン部門優勝のアリョーナ・バーエワさんの副賞コンサートに、共演ピアニストとして出演。そして2010年の第4回コンクールにおいては自らがピアノ部門の優勝に輝いた、ヴァディム・ホロデンコさん。昨年6月にヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール(アメリカ、テキサス州)優勝という輝かしいタイトルを手に入れ、演奏活動に忙しい毎日を送っている。今年2014年の仙台クラシックフェスティバルへの出演が、クライバーンコンクール優勝後、初めての仙台訪問となった。
久しぶりに接した仙台の聴衆の反応はいかがでしたか?
「いつも熱心に聴いてくださって、ありがたいと思いました。とても興味深いことなのですが、日本で演奏するステージでは、聴衆と自分との間にいつも同じつながりを感じます。2008年にバーエワさんと初めて仙台で演奏したとき、なにか特別なつながりを感じたことを覚えているのですが、それと同じものがいつも感じられるのです。」
終演後はサイン会で仙台のファンのみなさんと触れ合ったと思いますが、クライバーンの優勝について何かおっしゃる方はいました?
「いいえ(笑)。僕自身、仙台に来たときには“仙台コンクールの優勝者”でいたいですしね。」
仙台のように、聴衆がご自身の演奏を待ち望んでいるとわかる場所で演奏するとき、ステージの上ではどんな気持ちがするのでしょうか。
「大きな責任を感じます。みなさんが心を開いてくれているのだから、自分もベストを尽くし、聴衆とつながる演奏をしなくてはいけません。音楽とは、私の心から手、ピアノへと伝わり、ようやく音となってみなさんに届くものです。
例えばクライバーンコンクールのような大きな舞台でも、最初のステージでは、テキサスの聴衆は私のことを知らないと思うと緊張しませんでした。一方、僕にとって仙台は特別な街なので、演奏するにあたっては気持ちが引き締まります。」
仙台コンクール期間中の思い出で印象に残っていることはありますか?
「私たち演奏家と、事務局の方や調律師さんなどとの間にある、良い人間関係ですね。小さなことだと思われるかもしれませんが、音楽に集中するためには大切なことです。おかげでコンクール中プレッシャーを感じることもありませんでした。運営が完璧で、演奏を大いに助けてくれました。
また、ホストファミリーの住(すみ)さんは、最初から応援してくださいました。あまり英語がお得意ではない中で、いつも“ファイト、ファイト!”という言葉で励ましてくれました。演奏を聴きに来たり、娘にプレゼントをくれたり、ずっと支えてくれました。」
そういえば、仙台コンクールに優勝したときは1人目のお子さんが生まれる直前で、クライバーンコンクールのときはそのお子さんがもうすぐ3歳でしゃべるようになったとおっしゃっていましたけれど……。
「はい、実はクライバーンのときに2人目の子供が生まれたんですよ。もうこの後はコンクールを受けないから、子供は増えないのかという質問ですか(笑)?」
いえいえ(笑)。そのとき、お子さんがしゃべるようになって、モーツァルトの音楽には、洗練と同時に子供のおしゃべりのような要素があることを発見したとおっしゃっていたのが印象的だったのです。お子さんがさらに育ったことで、また何か音楽的な発見はありましたか?
「確かに、子供の存在は私の音楽に影響を与えます。とはいえ、演奏が変わるのは、自分自身が年を重ねて賢くなっていくからなのではないかなとも思います。」
同じベーラ・ゴルノスタエヴァ先生門下でお子さんが3人いる上原彩子さんにそのお話をしたら、モーツァルトは子供のおしゃべりのように簡単にはいかないのよねと笑っていましたが。
「それはもちろんそうです。私も、モーツァルトが子供のおしゃべりのようで簡単だと言いたいのではありません。彼の音楽は、たった2秒のうちに、一瞬にして白が黒になってしまうこともある。すばらしく、とても深い音楽です。
とはいえ、女性のほうがモーツァルトをより理解しやすいのではないかと私は思いますね。男性は、子供と話をしたり世話をしたりすることはできますが、女性のように子供を産むことはできませんから。女性のほうが、子供についてより多くのことを知っているのは確かです。」
ところで、仙台コンクールが他と違うと感じるのはどんなところですか?
「私にとってあまりに特別なので、客観的な意見を言うのは難しいですが……。それまでにもコンクールで優勝したことはありましたが、仙台コンクールは私にとって、名の知れたコンクールで優勝できた初めてのものでした。最初に私の才能を証明してくれた場だといえます。結果が全てではありませんが、優勝して努力が認められるというのはやはり大切な出来事です。
確かに、その後クライバーンという大きなコンクールで優勝したことにより、何百ものコンサートで演奏するようにはなりました。それでも仙台コンクールでの優勝は、私のキャリアにとって一番価値のある出来事だったと思っています。
もうひとつ、仙台だけでなく日本のコンサートにおいて特別だと感じることは、人のつながりのあり方です。一方のアメリカでは、商業主義の感覚が強いように思います。
例えば今回の日本滞在中、東京でバッハの「フーガの技法」を演奏します。アメリカでは、そのようなお客さんが入りにくい公演は成立しにくいのですが、日本では小さな演奏会で自分が興味のあるプログラムを演奏させてもらえます。主催者が興味を持って協力してくれることがまずありがたいです。」
演奏活動で忙しくされていると思います。今後どのような活動を計画されているのですか?
「昨シーズンはあまりに忙しすぎました。来シーズンからはロンドンの新しいマネジメントがつくことになっています。彼らは私のやりたいことを理解してくれているので、演奏会の数を調整し、興味深いプログラムや室内楽の演奏会を中心とした活動ができるようになると思います。集客と自分のやりたいことのバランスを大切にして演奏活動をしたいと思っています。」
ところで、コンクールは参加することに意義があるのだから結果は気にするなという言葉を聞くことがありますが……
「はい、私も言ったことがあります(笑)。」
でも、実際はどうなのでしょう。ピアニストにとって結果は重要ですし、評価されなければきっと気分が悪いですよね?
「それはもう。腹が立ちます(笑)。」
期待通りの審査結果が得られるとは限らない中、辛い時はどうやって乗り越えればよいのでしょうか?
「若くてまだ知られていないピアニストにとって、コンクールは道を切り開くための道具だと捉えることは、一つの方法だと思います。コンクールが悪いものだとは思いませんが、良いものだとも思いません。とはいえ、コンクールを経験することで必ず強くなることができます。神経が鋼のようになるのです。もしかすると、軍隊での訓練のようなものかもしれませんね。誰もが参加しなくてはならない場だけれど、そこで過ごせば確実に強くなることができる。
また、コンクールは、良いマネージャーなど今後の活動をサポートしてくれる人に演奏を聴いてもらえる場だとも思います。コンクールが音楽家をダメにするという意見を聞くこともありますが、それは言い過ぎだと思います。強い志を持ち、賢明でいれば、コンクールで何があってもその人の芸術がダメになることはありません。練習し、学び、自分の音楽を見失わず努力を続ければいいのです。それでダメになっても、決してコンクールが悪いのではありません。」
最後に、仙台コンクールを受ける人へ、アドバイスをお願いします。
「みなさんがこれから私と同じような経験ができるということが、うらやましいですね(笑)。仙台コンクールは審査委員の先生方もすばらしく、誠実な審査がおこなわれているという評判が保たれています。それにこれだけの時間がたっても仙台によんでもらえる。とにかくすばらしいことだと思います。
あと、コンクールでなかなか良い結果が出ないという方に伝えたいこともあります。私がたまたま最終的にコンクールで成功したから言うわけではありませんが、もしもあなたが舞台で活躍する運命にある人ならば、必ず成功への道が開けるということです。成功への道は、自分の意志で拓けるものです。100%プラス1%の努力をし続ければ、どんな審査委員もその道を阻むことはできません。
みなさんの幸運を祈っています!」
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